シャーアラム中央公園 / Shah Alam Lake & Park
所在地 | マレーシア シャーアラム市 |
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期 間 | 1980~1984 |
面 積 | 50ha |
発注者 | セランゴール州開発公社 |
業務領域 | 基本設計、実施設計、現場監理
植木場運営 |
新州都のセントラルパーク
プロジェクトの背景
目覚ましい経済発展を遂げ始めたマレーシアは1978年にセランゴール州は州都の機能をクアラルンプールから移しシャーアラムを新しい州都と定めその建設に取りかかった。
新州都の中心部のタウンセンターに隣接する公園のマスタープランの作成には時のサルタンの命によりstate secretary を筆頭に、財務長官、都市計画局長等6名の委員会メンバーがコンサルタント選定のため訪日した。6社が面接の結果3社に絞られ、最終選考の結果当社が選ばれた。 当時社員たった4名で高野文彰が36歳の最も若い、小さなランドスケープアーキテクト集団が国際的にデビューした記念すべきプロジェクトである。
今までイギリスをはじめとする欧米諸国を目標としていたマレーシアがもっとアジアと連携すべきであると唱えたマハテール首相の「Look East」ポリシーの先駆けとなった。
マレーシアの風土に根ざしたネイティブな樹林の育成
マレーシアの自然、文化、歴史、 風土、を計画に反映していく。 当時マレーシアでは海外から持ち込まれた園芸品種が主体で植栽計画がなされていたが、我々はマレーシアのネイティブな樹種で骨格となる森林を構成した。又それらの樹種は市場にない為自らジャングルで種子を採集し設置したナーサリーで苗木の育成を行った。
伸びゆくマレーシアの象徴
目覚ましいスピードで成長しているマレーシアの象徴となる公園。ジャングルから採集した種子によって育まれた熱帯雨林の樹木は伸びゆくマレーシアの国の象徴としてとらえられた。
協働と技術の伝達
当時マレーシアは国作りがスタートした時期でありランドスケープは全く新しい分野であった。私達は一時期のお手伝いはするが、最終的にその国のランドスケープはその国の人々の手で構築されるべきであると考え、2年間にわたり毎週土曜日に研修プログラムを実施し、ランドスケープアーキテクチャの考えが伝わる様ともに進めた。